ピラティス乱立の世界①〜歴史〜
今日お話ししたいのは良い・悪いの二極化の話ではなく、歴史背景含め、世の中そうなっています。
というお話です
それぞれ長くなりそうなので、3部構成を考えていて、、
ピラティスの歴史
資本主義社会
クライアントに求められる知性
この順序で書くと分かりやすいと思っています
日本では(特に都内)では、数多くのピラティススタジオができています
それ自体は業界人として、普及してきている側面もあるので嬉しく思います
一方、◯◯ピラティス、△△ピラティスのように目先を変えたり、スタジオレッスンのコマ数を増やすために色々名前を出していたりします
大きく的外れな名前や内容も、声を大にしては言えませんがあります
比較的多くのクライアントさんから言われるのは、、
「ピラティスって先生によってやることも、言うことも全然違いますよね」
その通りだと思います
今回記載する歴史がそもそもの乱立を生んだ側面もあります
創始者:ジョセフ・H・ピラティスの直弟子は8人いたと言われています
そして、8人いれば8人全員が違う身体の特徴を持っています
が、故に、、
その8人全員に違うことを伝えていた
ということです
例えば、
Aさん: 腹部の筋肉が弱いから腹筋についてより伝えていた
Bさん: より呼吸を重要視した方が良いと思い呼吸のことを重点に伝えた
Cさん: 解剖学の知識をより深めて動くように努めた etc
このような内容を師匠から教わっていれば、、
Aさん: 腹部を強化することが重要
Bさん: 呼吸をマスターすることが重要
Cさん: 解剖学を掘り下げることが重要
と、必然的にそういう思考になっていくのは当然だと思います
そして、そのA・B・Cさんそれぞれの思考を慕い、レッスンを受ける人がいれば更にそのノウハウが枝分かれし、芋蔓式に広まっていきます
なので、色々乱立してしまったのはそもそも最初からそうであったということ
良く言えば、 多様性がある・包括的である とも言えますが、 悪く言えば まとまりがない ともとられてしまいます
ここまで世界各国で広がりを見せ、多くの方がやられているのでまとめていくことはほぼ不可能です
その中でクライアントにとって良い巡り合わせで自分に合うトレーナーと出会えたら嬉しいです
次回はこの環境から資本主義社会も交えながら書いていきます